1.2005年 「ママ マックス自閉症なの・・・」
2005年1月
「ママ、マックス自閉症なの・・」2005年1月、娘からの電話だった。
その時からわが家の自閉症との闘いが始まった。
その前に1カ月間 マックスの弟メイソンが生まれた為、
私はシアトルに滞在していた。
「Max なにかおかしい・・やっぱりおかしい・・」
不安に思っていたことが確信に近くなった。
「大丈夫よ・・バイリンガルだから言葉が遅いのよ・・」
とのんびりと娘は言う。
確かに娘もペルーで生まれ3歳までペルーで育ち、それまでほとんど発話がなかった。
しかし、娘の場合とマックスとでは、大きな違いがあった。
娘は、ほとんど発話はなかったが、「パパ」「ママ」と確かに呼びかけてきた。
呼びかけると、ちゃんと振り返った。
マックスは、(これが自閉症の特徴です)
①2歳半になっても「マミー」「ダディ」と呼んだことがない。
②「マックス」と呼びかけても聞こえてないかのように全く振り返えらない。
③人が自分に話しかけるのを聞いたり見たりすることにまるで関心がないようだ。
④そして気に入らないと怒って自分の額をテーブルにぶつける。
⑤視線も私とは合わせない。
これらは、自閉症の症状であるとインターネットで秘かに確認した。
これを娘に伝えなければならない・・・
少しでも早く医者に連れて行くように言わなければ・・・。
しかし言おうと思っても娘が幸せそうにメイソンにおっぱいをあげている姿を見ると、とても「医者に行きなさい」という勇気が湧かない。
私の忠告は、娘の心の平和を永遠に奪ってしまう・・・。
いち日延ばしに延ばし、とうとう明日、日本に帰るという日に勇気を振り絞って娘に頼んだ。
「マックスを病院に連れて行って」と。
自分自身に降りかかる苦しみは、いくらでも耐えられるが、娘の苦しみは、どうやっ
ても耐えられない。
それまでの自分自身の人生にも様々な苦しみが襲ったが、この時ほど、
つらく苦しく悲しいことはなかった。
しかし悲しみに暮れている暇はなかった。
私は定年後、関連会社で働いていたが
すぐに退職してシアトルに飛んだ。
なにしろ下のメイソンがまだ2か月なのだからベビーシッターが必要だ。